2008年02月28日

不幸な時に産まれた男の子

例え、後から両親が離婚しても 子どもが産まれたときには幸せだった家庭が多いのではないだろうか。

だけど、僕は違った。

僕の家庭は、父親のDV(家庭内暴力)が起きていた。母親に対してだ。
それは僕が母親のお腹に誕生したときにはすでに起きていたらしい。

つまりは、僕がお腹にいるときから、母は父親の暴力に苦しんでいたのだ。

僕が生まれてからもそれは続いて、僕の記憶には両親が仲がよかった記憶がない。
あるとしたら、母親が泣いていたり、父親が怒鳴っていたりする記憶ばかり。

母の手作りアイスを父親に流しに捨てられ、泣きわめく自分。
どうしてそんなことをするの?と当時食べたかったアイスを見て思った。
八つ当たりの矛先がアイスにいったのかもしれない。

あるときは、喧嘩の時近くにあった受話器で父は母を殴った。
母の額がきれ、血が出る母、泣きわめく自分。

母が家に帰ってきたとき。
父は激怒して、母の足をもって家のなかを引きずり回した。
父はとても嫉妬深い人だったと前に母親が言っていた。たぶんこのときの理由もそんなとこだろう。

いつも僕は、泣いていた。

父の母。僕からしたらおばあちゃんにあたる存在もいい人ではなかった。

後から聞いた話だが、祖母は姉が2人生まれ、そのあとも女の子が生まれて3人姉妹が良かったらしい。だけど、産まれてきたのは僕。つまり男の子。

それは、僕の幼少期の叔母からのイジメの対象になる理由になったのかもしれない。

覚えているのが二つ。

おねしょをしたから、朝のヤクルト抜き。
姉2人はヤクルトをもらっていた。
当時三歳に満たない僕にはどうすることもできない。

もう一つは、理由は覚えてないが。

叔母に怒られ、下半身なにも穿かずに幼稚園に向かったこともあった。
祖母は結局、道の途中で穿かしてくれた(たしか)わけだが。


断片的に覚えている記憶にはいいものはほとんどない。

またはこんなこともあった。

広間で両親が話し合いをしていたときのこと。
父が母に怒鳴っていた。
だから、僕は「お母さんをイジメないで!」
と言ってやった。
「お前は黙ってろ!」
と父に言われ、僕の勇敢な行動は、また泣いて終わり。

そして最後に覚えているのは、母方の父(僕からしたら祖父にあたる)が、車を運転して家を出た。

移動する車の後ろのシートから、窓の外を眺める僕は、ずっと着いてくる月が不思議で不思議でしょうがなかったのだけはずっと覚えているのは何故だろうか。


詳しい年齢はわからないが、僕が三歳か四歳ぐらいのときの話だ。

しかし、家を出ても父との争いは終わりではなかった。

続く。
posted by イルカフィッシュ at 01:22| Comment(3) | TrackBack(0) | 昔話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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