2008年01月06日

希望は何になるのか。

遅くに起きた日の夜は寝れなくて、なぜか不安な気持ちになるから嫌いだ。


希望

響きはいい。とてもプラスな響きだ。
未来に向かって純粋に突き進む感じがする。

不安

未来のことを考えると安心していられない。

希望不安は対照的でありながら、存在する場所は同じだ。
未来にある。先のことをどう捕らえるかしだいで、それが希望にも不安にもなりうる。


過度な希望は、私はとても危険だと思っている。

「希望は、絶望の始まり」

これは私がよく思う言葉である。
絶望の元は、希望だからだ。

例えば、とてもなりたかった職業があってそれに就けたとする。
希望が叶った。
だけど、思っていたものとはとても違っていたら。

夢があって、夢を目指してずっとやってきた人が。
夢に敗れたら。

希望を無くし、きっとその人は絶望するだろう。希望がなかったら絶望することもなかったかもしれない。

希望さえなければ、、、。


しかし、人間が力強く生きるためには「希望」というものは大切だ。
希望がない状態を絶望と言うのなら、絶望じゃない状態は希望があるといえるかもしれない。


こうなりたい!ああなりたい!あれがしたい!これがしたい!

希望があるからこそ、人生を楽しく有効的に過ごせるのだろう。

世の中すべてのものは陰と陽がある。磁石にS極があれば必ずN極があるように。

光は影を作る要素をもっている。


私の夢は教師になることだった。中学生のときからずっと夢見てきていたい。しかし、その夢は挫折で終わった。
希望を失い、、、絶望していた。

だけど新たな希望を見つけ出さなくてはいけない。

希望の先に、幸せが待っていると信じて。
posted by イルカフィッシュ at 03:05| Comment(2) | TrackBack(0) | コラム(独り言) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月20日

恋の本性 後編

私は、恋の駆け引きというものが苦手だ。
特にメールを必要なとき意外しない私は、何気ない会話をメールでするのが苦手なのだ。着たメールは早く返さなくてはいけない。一生懸命考えて返事を送る。すぐに返事が返ってくる。数時間の間メールしか出来なくなる。ならばスカイプでと思ってしまう。
なんであれほど面倒くさいのだろう。だから自分は駄目なのか。。。

excite辞書より

こい こひ 【恋】
(1)異性に強く惹(ひ)かれ、会いたい、ひとりじめにしたい、一緒になりたいと思う気持ち。



あい 【愛】<

(1)対象をかけがえのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。また、その気持ちの表れ。

(ア)相手をいつくしむ心。相手のために良かれと願う心。
「子への―」「―を注ぐ」「―の手をさしのべる」

(イ)異性に対して抱く思慕の情。恋。
「―が芽生える」「―を告げる」「―をはぐくむ」

(ウ)何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち。
「学問に対する―」


好意的な感情では、「好き」「恋」「愛」と三つもある。

不等号であらわすと

好<恋<愛

といった感じだろうか。

「それは恋だね」なんて想像する場面は結構はっきりしてる感じがする。

しかし、愛とはなにか?となると人によって様々な答えとなり異なるから不思議だ。



辞書から見てみると、恋とは自分の欲求のことでしかない。「〜したい」という気持ち。

しかし愛となると。
相手を大切にしたい。という自分の欲求ではない。主は相手なのだ。



恋は異性までだ。
家族に対して「愛してる」というのはわかるが、家族に対して「恋してる」となれば「それなんてエロゲ?」となってしまう。

恋より、愛のほうが奥が深い。家族や友人、ペットにまで及ぶ。

しかし、恋人は付き合ってる相手のことを言うのに、愛人となると不倫になるのはなぜなのだろう・・・。

愛は恋の延長線上にあるように思う人もいるが、私はそうは思わない。
似て非なるものだと思う。

同じ線の上にないのだ。

恋が愛に変化するのではない。
恋の後に愛が生まれるのだ。


と私は考える。
だから、お互い恋しい気持ちでいることを恋愛というのかも



結局、愛ってなんだろう。。。とこの文章を書いていて思った。(だめじゃんw)

しかし、彼女のいない人間が恋や愛をこう論文のような口調で書いてるとちょっとなんだかなぁ、という気持ちになるのは何故だろう。。。途中からやらなきゃよかったと頭をよぎり始めた。そもそも後編を書いていて楽しくない!なんかもっと気の利いたことを書けないものか。
そしてだんだん寂しくなってきた。。。

ちなみに、科学的に恋愛感情は最大4年で消えるらしい。あくまでも科学的になので例外もあるだろうが。


カップル4年以上付き合って、そこにあるものは恋愛感情ではなく、何かしらの形で存在する愛なのかもしれない。

もうすぐ友人が結婚する。彼らは、高校のときから付き合っていて4年以上付き合っていた。だからコレには当てはまらない。


結局、何を言おうとしてたのだろう。。。
たかが23歳の男が語るものじゃないことは分かった。



話はちょっと変わるが、束縛が激しい彼には気をつけたほうがいい。

人が相手に何かしたり思うとき、それは自分を写し出す鏡だ。


人が相手の気持ちを考えるとき、「自分ならこう感じるから。だから相手もきっとそうだろう」というような考えのもと行動する。


束縛が強いということは、相手がもしかしたら浮気をするかもしれない。という思いがある。
そこには本人が自覚してないかもしれない部分が存在する。

例えば、浮気をするという観念そのものが自分になければ相手が浮気をするとは思わないだろう。

逆に、自分が時に、「浮気してもいいかも」または「彼女いるけど、この子いいかも」なんて思いがあればその感情はいつしか「彼女もそうかもしれない」という考えに変換されるのだ。


もちろん、束縛するからといってこの考えが100%当てはまるという意味ではない。嫉妬心やら過去の経験なども関わってきてゼッタイにそうだとはいえない部分も多々ある。
だけども、束縛が強い男性にはちょっと気をつけたほうがいいかも。


とにかく、、、恋がしたい!!!!!
ラベル: 恋愛 コラム
posted by イルカフィッシュ at 02:18| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム(独り言) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月19日

恋の本性 前編

もうすぐクリスマス!ってことで、恋についてでも語ろうかと思います。

といっても、私は恋愛経験は少ないほうです。
なぜかというと、奥手だから。好きになっても、「コレを言ったらなんて思われるだろうか?」と、考えすぎて何もできなくなります。
臆病なんですよね。。。

でも、女性友達がなぜか多い私は、なぜか恋愛の相談をよく受けてきました。たぶん異性として見られてないのでしょう。


では、本題へ。

先に言っておきましょう。

「傷づかない恋は、本当の恋じゃない。」

これが私の持論です。


人に恋したとき、恐いのは自分が傷つくこと。
そして、本当の恋なら何かしら傷づく可能性が高いです。例外もありそうですが。

人を好きになって、告白をするとき。
何が恐いかって、「振られたらどうしよう。」ってことでしょう。振られたら、二人の関係が気まずくなるってのもありますが、自分が傷つきますからね。

付き合えたあとは、好きだからこそ。不安になったり嫉妬したり。些細なことで喧嘩をしたり。


または、相手に裏切られたり。。。。


私は、昔は嫉妬をしない男でした。正確には嫉妬はしても表に出さないですかね。
そして束縛はしない。嫉妬や束縛することで好きな彼女を締め付ける気がして嫌だった。
彼女が男友達と遊ぶことがあっても、平気なふりをしていた。
それが相手を信じてるってことの意志表示であり、相手のためだと思っていた。
だけど間違いだった。

相手を傷つけないようにって想いの裏には、相手を傷つけたときに自分が傷つくことが恐かったのだ。

過度な束縛は問題ですが。適度な束縛や嫉妬をあまりにしないと女性は逆に「本当に愛されてるのか?」と不安になるとよく聞きますが。

ある時、付き合ってた彼女にそれを見抜かれた。

そのときに言われたのが、「本当の恋は傷つけあうものなんだよ」という言葉だった。

かなり心をえぐられたような感じになりました。
すでに私は彼女を傷付けていたのだ。

実は私の言葉ではなく、受け売りの言葉ですがそれからは前よりも素直な自分を出せた気がする。




だから、恋をして傷つくことは当たり前なんです。

それが、違う環境で生きてきたものが本気でぶつかりあって、本気で想い合うってことではないでしょうか。


いつものように長文を書いてしまってもなんですから、少し分けて書こうと思ってます。(後編へと続く)
ラベル:恋愛 コラム
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2007年12月11日

コトバの不思議。

爆笑問題のニッポンの教養FILE020:「コトバから逃げれられないワタクシ」
というのをやっていた。惜しいことに途中からみた。。。

言葉というのは、とても不便なものだと思う。

放送で言語学の教授が、
「イヌとネコが歩いているっていうのを同時に言えない」
と言っていた。

思わず頷いてしまった。

人間は言葉によって、情報を伝えたり、残したりしてきた。
それが文化でもある。

このブログなんてものは、言葉を残すだけでなく、多くの人に見てもらえるという活気的なツールだと思う。

しかし、言葉によって多くの情報が失われるのも確かだ。


私たちは、言葉によって多くの表現を可能にしたが、その分表現できない部分を削除してきた。ブログを書くときでさえ、あまりに文章が長くなりすぎないように、いろんなことを省略したりする。

デジタルならどうなのだろうか。
結局この文章もブログの時点でデジタルなわけだが、0と1の配列だけで多くのことを伝えられる。0と1の配列をPCが解析して、映画を見たり、音楽を聴いたりできるわけだ。

そうなったとしても、結局映画も音楽もベースは言葉からなってるもので、言葉というものから逃れることはできないのかも。歌詞がない音楽だって、こういうイメージで出来ているなんて語れば、それもまた言葉の呪縛なのだ。

もし、言葉を知らなければもっと多くのことが得られていたかもしれない。
そんな限られた言葉の世界を職にしてる人たち。

小説家

小説家の人たちは、言葉で情報を伝えるスペシャリストだ。
その場の状況や雰囲気、人物の思いや表情などのイメージを私たちに忠実にイメージさせてくれる。

もしテレパシーでなんでも通じ合える宇宙人がいたら、彼らに小説の良さがわかっただろうか。

少し話しは変わるが、、前にスカイプで日本語に興味のあるハンガリー人とお互いの国について話したことがある。
民族によって言語は多種多様があるのに、日本語を学んでいる外国人と会話してコミュニケーションがとれたときに、なんだか楽しいのはなぜだろう。(私は英語苦手だから、自分からは無理なのだ。。。)



ずいぶん前から、ブログは文字だけでなく音声を載せる事ができるようになった。つまりボイスブログというやつだ。最近じゃ動画投稿もできる。

そして
ボイスブログに日記を載せる人もいるが、小説の朗読を載せる人もいる。

言葉に関して書いたってこともあり、お気に入りのボイスブログを紹介しようと思う。

この前、Seesaaブログの新着ポッドキャストを見てみたら一つの朗読ブログに出会った。

月の朗読

このブログ主は女性で、BGMや効果音もこだわって編集されて、さらにはそのシーンによっては声を反響させたりと音響での雰囲気作りがすごくよくできている。

語りも落ち着いた声で、人物によって声をかえ誰が話してることかもわかりやすい。また人物の感情をすごくよく表現できていてかなり驚いた。
となんだかとってもべた褒めだが。

つまりは、、
それほどファンになりましたwっというわけです。

「自分なら到底できないことだなぁ。」
と思った。

あまり朗読ブログとかは聞いたことがなかったけど、文章に声が付くことでそのストーリのイメージは自分が読んだときよりハッキリでてくる。そこがまた面白い。

私も実は、ボイスブログをやったことがある。雑談系だったけど・・・。
ネットラジオをやってたこともあった。友人DJに自分の声でジングル(曲とMCの切り替わりにいれる短いラジオ紹介)を作ったりしていた。

綺麗な音声を録音する環境作りや、音を編集したり音を加えたりする編集は結構大変なことは少しは分かるつもりだ。(多分)
だから、BGMや効果音、または声にエフェクトをかける作業がどれほど地味で大変なものか少しはイメージできる。


文章だけでも情報は伝わる、しかしそれに声が載るだけで情報は格段に増えるのだ。

デジタルの目線で見れば、5分半の音が5MBだとしたら。
1文字2バイトということから、文字数にしてなんと2500000文字分(日本語全角で)にもなる。250万字の情報で5分半と考えるとすごい量に見えてくる。

あくまでも単純計算だから、厳密にいったら違うかもしれないが。あくまでも例えとしてということでお願いします。

そう考えると、文章に声が載るだけでそこに潜んでいる情報量はすごいものだ。

コレを機会に朗読系のブログを探してみようと思った今日この頃。

寝る前とか、部屋暗くしてても本を読んだ気になれるからお勧めです♪

となんだか、最後にはお気に入りのブログ紹介へと変わってしまったが、これもまた言葉って難しいってことかな。
posted by イルカフィッシュ at 15:36| Comment(2) | TrackBack(0) | コラム(独り言) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月09日

宇宙の果てと人生の果て

宇宙の果てを知って、人生論?が頭に浮かんだので書こうと思います。

注意:この記事は番組から得た知識を元に書いてるため、正しい内容ではない部分が含まれる可能性があります。

今日深夜番組で、宇宙について取り扱ってる番組があった。

深夜番組だから全国放送ではないと思うので、やってない地域と思います。

ドスペ2「芸能界宇宙部」

ロンブーのアツシや劇団一人やカンニングタケヤマ。あと女医師のあの人とか、あともう一人いたけど覚えてません。。。

プラスゲストに宇宙学?の教授を呼んでやってました。

宇宙に関することを調べ、それをみんなで順番にプレゼンしていく番組です。んで細かいところは教授が解説してくれます。


途中から見たのですが、最後にやったのが。

「宇宙の果てはあるのか?」



でした。これは興味深かったですね。

話はまず宇宙の広さの説明から始まります。
まず、地球があり、月があり太陽があり。。。

太陽系があって、銀河系があって、、、、。最終的に超銀河団なんてものまで登場。

TVで見ただけのにわか知識なので、詳しくはココとか見るといいかも。
宇宙は膨張していて、宇宙の広さ(大きさ)は約150億光年と見られてるそうです。

んで、宇宙の果てとは、、、

私たちが知ることができないところが果てだそうです。

今の人間が調べる可能なところまでが、果てなんです。

私たちが、何かをみて、そこに何があるのかとわかるのは、すでにその知識があるから。
例えば私の目の前にPCがある。それがPCだとわかってるからです。または、PCを想像することもできます。

でも、私たちは分からないことを想像することはできません。
宇宙の果ての向こうはどうなってるか。私たちは見たことがない。つまり脳内にその知識がないので想像することすらできないのです。

ということで、宇宙の果ては個人個人によっても違うそうです。
宇宙学に詳しい人は、知識があるぶん宇宙の果てまで大きくとらえ。
そこまで知識がない人は、分かる範囲までしか想像できません。
その果てが、宇宙の果て。

TVで教授は、
「宇宙の果ては、バカの壁でもある。」
といってました。

この理論には納得。確かに知らない世界をイメージすることができるわけがない。

例えば
二次元の人間が、三次元の世界を想像できないようなものですね。

このまま宇宙の話をしていると、この記事の果てがなくなりそうなので省略。(果ての外へいけない理由とか)


ここからが、本題です。

この果ての理論を、生きる世界にに脳内変換。

私たちの社会で、自分が知ってる世界なんかは、全体から見たらちっぽけなものです。社会全部を知ろうとしても、日本ですら全部を知ることはまず無理でしょうね。

日本という社会の世界がどんなに広くても、
世界の果ては自分が分からないところまで。となります。

世界は広いというのに、自分が分かる世界などはちっぽけなものです。
そんななかで、知らない世界のほうをみて。「あっちの世界の方が良さそうだ」と言えるでしょうか。

宇宙で言えば、まったく想像すらできない宇宙の果てに対して。
宇宙の果ての向こう側のほうが、言いところのようだ。
と言えるでしょうか?

今、私は社会人でないので自分の世界の果てはバイトで見てきた接客業や営業の世界ぐらいまでですかね。

そんな小さな世界にいながら、自分はダメだといえるのでしょうか。

宇宙は、今も膨張していってます。

そして人間も日々暮らす中、色んなものを見て、色んなことを学び、自分の中の宇宙(世界)を広げていってます。

日々大きくなっていく自分のなかの宇宙。

今見える世界で、自分の未来はないと思ったとしても。その先には実は自分の知らなかったものがあるかもしれない。

宇宙の果てと同じ、想像できないだけ。想像できなから無いとしているが。そのうちとんでもない可能性を秘めたものが出てくるかもしれません。そうでなくても、今より良い世界がそこにあるかも。

つまり、今見てる世界はとても小さく、その大きさのなかで悩んだり苦しんだりしたとしても、その先を想像できないだけであってまだ知らない世界があるのだから、前向きに生きりゃいいじゃん。

って思ったわけです。

そう考えると、今の自分はとても価値のないものに思ったとしても。
その先には、昔は想像できなかった新しい宇宙の果てが待っているかもしれません。
ラベル:宇宙 人生 理論
posted by イルカフィッシュ at 03:22| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム(独り言) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月08日

ジョン・レノンの命日

BlogPet 今日のテーマ レノンズデー
「今日はジョン・レノンの命日です。あなたが好きなジョン・レノンまたはビートルズの曲を教えてください。」
ブログをはじめて、なんとなくでブログペットを設置。
 
ブログペットサイト側で毎回テーマを提供してくれるというのですが。
毎回スルーしてきました。
 
しかし、ちょっと今回は気になったので回答しようかと。
 
あなたが好きなジョン・レノンまたはビートルズの曲を教えてください。
 
そもそも私がジョン・レノンを知ったのは中学校のとき。
どうして知ったかまでは、覚えてませんが、、、
 
そのころ得た知識は、ジョン・レノンが恵まれた家庭環境ではなかったこと。暴力を嫌っていたなどを知って共感をもてる存在でした。
 
中学生の私は、母子家庭ということに自分で偏見をもっていたからだ。
今では、母子家庭も珍しいことじゃなくなったし。考えも違うけど。
 
 
ジョン・レノンは暴力を嫌っていたが、最後には嫌いな暴力によって殺されてしまう。
 
これがとても衝撃だった。
 
んで、一番好きな曲は
 
「イマジン」
 
すべては想像することができたら、戦争も宗教も人種なんかで争うことはなくなる。
ごもっともだとおもう。
だって、相手のことを想像できたら殺し合いなんてできないはずだから。
 
まぁこの歌詞に関しての捕らえ方は人それぞれだろうから、色々な考えがあるだろうが。
 
 
ビートルズで好きな曲で言えば、
 
「ヘルプ」
 
今聞いても、とても新鮮で古びた感じがしない。
コレがすごい。
JPOPなんて、時代と共に変化し、懐メロは好きだが、やはり時代を思わせるところがある。
 
ビートルズの曲は、いつきいても古く感じさせない。
つまり、時代は関係ないのだ。
そう考えるとやっぱりすごい人たちだったのだと感じてしまう。
 
ジョンレノンの日本人によるカヴァーアルバムが出ることも、うなずける。
 
私の人生に、影響を与えた存在。ジョン・レノン。
すでにいない彼へ、心の中で感謝の言葉をささげようと思う。
posted by イルカフィッシュ at 15:58| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム(独り言) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年12月05日

私たちの世代の働く意味ってなんだろ?

人は何時間働くと過労死するのか?

私の愛読サイトで大好きなGIGAZINEさんの2007年12月4日のヘッドラインニュースより発掘。

---------引用------------
以前、私たちが若い頃、ベテランの人達からこんな事を言われていました。

「好きな仕事ばっかりできるほど世の中は甘くないんだよ。辛いことを我慢していくのが仕事なんだ」

そんな時代は幸せな時代だったんです。私たちがこれから生きていく大競争時代。これからは、

「イヤな仕事を我慢して、勤務時間を過ごして乗り切れるほど、世の中、甘くないんだよ。好きな仕事、楽しい仕事に没頭していくことが仕事なんだ」

と言う時代に突入したのではないでしょうか?
---------ここまで------------


誰もが思うことは、自分の好きなことをして生きていきたい!
好きな仕事をしたい!

だからこそ、夢や希望、または目標があり人は生きていくのでしょうかね。今の私にはないですがw

周りの大人(自分より年上の人)は口をそろえて「最初の三年は頑張れ」といいます。入社したらとりあえず三年頑張る。がセオリーのようですね。
まぁ、三年立てば仕事に慣れたり部下が出来たり、少し自分の立場が上になることもあったりと環境が変わるからでしょうか。社会に出てないので断定できませんが。。。

今では「転職」という言葉をよく聞きます。転職系のサイトの広告もしょっちゅうみるし。逆に会社側はどう優秀な社員を引きとめようかと、あれこれ新しい制度なんか作ったりして頑張ってるところもあるとか。


話が脱線してる気がするので戻しましょう。


特に、私を含むY世代というあたりは仕事に関しての価値観がX世代と根本的に違うと思う。

X世代は、勝手な妄想ですが仕事があるだけで幸せという考え方がベースとあり次にできれば自分の好きな仕事をすると感じがする。
まぁ人によって違いはあると思うけど。

私たちY世代は、自分の好きなことを仕事にしたいという気持ちが前にあります。若くてもバリバリ好きなことができるイメージのあるベンチャー企業もたくさんあったり、PCやネットを使えば一人でお金を稼ぐことも可能な時代です。
つまりは、自分のアイデンティティーというものを大事にして仕事をしたいと思ってるのです。ちょうど私の世代は、個性が大事とか言われながら、ゆとり教育が導入され始めた世代です。
なのに社会にでれば、個性なんて出すとこないところばかり。
協調性は大事だけどね。

といっても、今でも社会に出れば好きな仕事につけない人はかなりたくさんいるでしょう。サッカーが好きでライター系の職に進んだ人がまったく別の仕事をさせられて「こんなはずじゃなかった」と言っていた。


隣の芝はよく見えるもの。


ベンチャー企業なんかに行って
自分の好きなことをして仕事してまっせ!なーんて人がよく目についたりして、自分の人生があまりにもつまらないもので損をしてる?負けている?なんて思いはじめたらもう仕事を楽しめないでしょうね。

自分もそれで今苦しんでいる。

大学を辞めたら、道は急激に狭まり、大学中退で入れる企業なんか自分が楽しめる人生を送れないんじゃないかと。

って自分のせいでこうなってるのに、わがままな自分に呆れます。。。


嫌な作業をするときに私がよく頭に浮かべる言葉。
「好きな仕事を探すより、今の仕事を好きになれるものを探そう」

何事も、考え方一つ違うだけでその世界は違くみえるもの。

と理想論かな。

この世の中、実際どれだけの人が今の仕事に満足しているのだろうか。

そんなことを夜に考えていると、なんだか暗くなるのでやめとこう。

何が言いたいかというと。

そんな先のこと考えてないで、バイト探せ!俺!
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2007年11月21日

一寸先は闇

こないだ見たブレイブワンという映画でもテーマの一つ。

恐怖や闇とは無縁だと思っていた日常。

しかし、それがある日一瞬で崩れる。

そこには今まで気づかなかった。知りたくもなかった世界が広がっている。

そんな話をしようと思う。

誰もがその可能性を持っている。
しかし、その溝に落ちたことがない人は。
まさか自分がなるはずがないと思っている。

明日も明後日も。また同じ自分がそこにいると信じている。

うつ病、ひきこもりやニート、不登校。

そんな人たちに対してどう思うだろうか。
同情する人もいるかもしれない。
優しい言葉をかける人もいるかもしれない。
がんばれ!というかもしれない。

だけど、本当の意味で共感してくれる人は少ない。
なぜなら、自分は違う。と思っている人が多いからだ。
たいていの人は、そういう人を下にみる。意識してなくても無意識でそう思っていることが多い。

だからこそ、引きこもりになった人は人目がいやになるのだろう。

ちなみにがんばれ!という言葉は、無責任な気がしてあまり好きじゃない。

悩みはあっても、そうはならない。自分はそこまで弱くないさ。
なんて思っているかもしれない。
実際自分がそうだった。彼らには何かが足りないのだと。
なってみたら違った。

実際はすごく身近に、どこにでもその落とし穴はあるのだ。
気づいてない、または見えてないだけだ。
なれば分かる。
分かってない人にはよく言う言葉です。
「なれば分かるさ。」

実際、一部の人間だけと思っているからなのか。
もしそうならそれは少し違う。多くの人は、たとえ気が病んでいても隠そうとする。だから人目には普通に見える。
そんな人が多ければ、誰もが普通に暮らせてるように見えるだろう。
自分だけなのかと不安になり、なおさら普通を装うのかもしれない。

こんな記事がある。
調査のコメントで浮き彫りになった「こころの病」の実態

分からない人に言いたいことは。
なって見なければ見えない世界だけど、分からないで人生暮らせたほうが幸せだということ。

だけど、一歩先にあるのは落とし穴かもしれない。

人は常に変化している、1秒前の自分と1秒後の自分は別人だ。
この文章を読む前と後ではすでに別人になっている。
その変化の連続の中で一回も、自分が気が病むようなことにならないと言えるだろうか?


一寸先は闇。

たいていのことはすでに過去に発見されてることに、驚く。

posted by イルカフィッシュ at 01:48| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム(独り言) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年11月12日

世の中9割は腐っている

こないだメッセのIMで社会人一年目の大学の友達から衝撃的なことを聞かされた。
来年の一月で仕事をやめると。

彼は地方銀行に就職にした。かなり職場が嫌だったみたいだ。
留年してる俺からすれば就職してる時点で羨ましいのだがw

俺みたいになるぞ!っていったら 仲間だ!っていってくれたよ。
いや!
こっちの世界は、働くことよりある意味つらいぞ!
目標もやることもない日々なんて、、、

何かに追われて過ごして来た人は、何もしない日々をいいなぁ〜なんて思うかもしれない。
実際は、結構辛いのだ。

自分は社会人ではないが、社会人じゃない人よりは社会を知っていると思う。(あれ、日本語おかしい?
携帯販売員はバイトながら社会人に囲まれて働くため、社会に近い。

色んなお店へ行って学んだこと。

自分からみた社会の9割は不条理。


しかし、そう思ってる自分も他人から見たら不条理なモノの一つなのかもしれない。
残りの一割があるからなんとかなってるのかも。

この世の中で、自分が楽しく仕事を出来ている人がどれほどいるのだろうか。
根拠はないが、半分以下だと勝手に思う。

いや実際そう言って生きてる人はあまり見たことがない。
というかそう思って生きてる人はとても忙しくて会わないだけかも。


大学生と肩書きながら、引きこもって思ったことはだ。

どんなに嫌な仕事でも、どんなに他の人の生き方が羨ましく見えても。
働けるってことは素晴らしい。

隣の芝生はよく見える。とは本当に的を得ている。

社会に出ている人は結構自分の周りの人は、いい人生を送ってるなんて思うこともあるだろ。

その中の多くの人は、社会の不条理に不満を抱え、人生に不満を抱え、それを隠して、幸せそうにみせて生きている。ではないのか。

いつも言うことが理にかなってなかったりして、ムカつく上司がいたとしたら。
「きっとその人もその人にとって上の人に同じようなイラついた感情を抱いている」
そう想像してみると、不条理仲間だ。ちょっと見る目がかわるかも?


社会でムカつく客や仕事仲間がいたら、こう思うといい。

「自分からみたら、最低な人間だ。しかし、この人には友達がいる。または恋人がいる。家族もちなら家族がいる。その人たちからは好かれているのもまた事実なのだ。」と

相手を理解できないとき、相手は自分を理解していない。

そう思うと少しは我慢できるかもしれない。

なんかラフに書けない文章力のなさが嫌だな。偉そうな言い方になってしまう。。。知り合いに対して書いてないからかな。
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2007年11月10日

アルミ缶とスチール缶

なぜ、アルミ缶とスチール缶が存在するのか?


なんとなくでだいたいの人が分かってると思うが、

炭酸飲料など冷たい専門は、アルミ缶。
缶コーヒーなどのあたたかい専門は スチール缶

だ。

アルミ缶を使う理由は、炭酸などその内からの圧力高い飲み物に適してるからだ。中から圧力が出てるのでへこみにくい。

スチール缶は、あたたかい状態で飲み物を置くため、殺菌などの肯定で高温高圧などに耐えることができるため。

それを踏まえてだ。

人間にたとえてみたらどうだろか。

多くのものは元の形を維持しようとする。

人間もその一人だと思う。

つまり、外部からの圧力がかかったときに凹まないように頑張る。
それが一般的だ。

凹んでも、そのうち戻ってたりもする。

人は社会でも学校でも団体生活の中では、少なからず外からの圧力がかかる。つまりプレッシャー。

それが、何かの舞台に立つような一時的なものならまだいい。

それが徐々に、気づかないところで起きてたら問題だ。

人は日々、何かにストレスや刺激をもらいよく歪む。
だけどそれを普通になろうと修正していく。

試験に落ちたけど次は頑張ろう。と具合に。

しかし、誰もがそうでもない。
一度凹んだ部分をうまく戻せなかったりすることがある。

徐々に自分を歪めていく見えない圧力。それが気づいたころには、元に戻せないほどまで歪められ。

耐えられなくなって潰れるのだ。


誰もがスチール缶のように強くありたいと思うが、実際はみんなアルミ缶なのかもね。

内圧が高いうちはまだいいけど、、気がぬけてしまえば押しつぶされてしまうのだ。

それが今の自分かも?しれない。。。。
posted by イルカフィッシュ at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム(独り言) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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